新飯塚駅の東口、景色がすっかり変わる
今回のスタート地点、JR新飯塚駅。
これまで参加した飯塚市のウォーキング大会は、大半が近隣のJR駅(鯰田駅、浦田駅、飯塚駅、天道駅など)をスタートし、新飯塚駅に向けて歩くコース設定になっていた。
つまり新飯塚駅はいつも「ゴール地点」だった。
先日散策した福津市ウォーキングが「いつもの大会とは逆回りのコース設定」で、それがなかなか楽しかった。
なので今回の飯塚ウォーキングも、いつもとは逆向きで歩くことにした。新飯塚駅から他の駅へ。
これまで数多く歩いている飯塚市。電車で来ただけでなく、車で来たことも度々あり、その際にはいつも東口の駐車場に停めたものである。
その駐車場も今は消え、現在は多くのマンションが建っている。すっかり景色が変わってしまった。
飯塚市を初めて歩いた2012年、このあたりはマンションが1つも建っておらず、マンション建設予定地の空き地がドーンと広がっているだけだった。
空き地を越えて、麻生大浦荘にビビりながら行ったのがもう11年も前のことである。懐かしい。
-
飯塚市の「ひいな祭り」巡り、麻生大浦荘で大きな勘違いに気付く
2012年2月26日(日)。この日は福岡県飯塚市を歩いてきました。この時期の飯塚市は街をあげて可憐なひな人形が各会場にて展示され、さらに今年は長崎街道の筑前六宿が開通してから400周年ということもあり、活気に満ち溢れていました。
新飯塚駅を出発し、まずは進路を西へ。飯塚市役所の前を通過する。
以前はもっと茶色っぽい風貌だった市役所だが、改装工事により外見がキレイな白色に変わり、2017年5月に新庁舎が開庁している。
中之島で山上憶良の歌碑を発見
国道201号線に架かる新飯塚橋を渡る。
ウォーキング大会では、この新飯塚橋を渡った記憶がほとんどない。隣りに架かる芳雄橋を渡るか、新飯塚橋の下を通る河川敷遊歩道を歩くことが多い。
その芳雄橋は新飯塚橋の南側に架かっている。
飯塚市の市街地を流れる2つの川が下を流れる。上の写真、左側が遠賀川、右側が穂波川。
遠賀川と穂波川は、新飯塚橋を過ぎてすぐの地点で合流し、遠賀川となって下流へと流れていく。つまり新飯塚橋は穂波川の終点となる。
穂波川の河川敷に設置されている、柳原白蓮の歌碑。今回は行ってないが、穂波川のさらに上流のところにもう1つ、柳原白蓮の歌碑がある。
柳原白蓮(やなぎわら・びゃくれん)は明治期の歌人。華族の令嬢だった頃に筑豊地方の大富豪・伊藤伝右衛門と結婚し、筑豊・飯塚の地にやってきた。
2014年に放送されたNHKの朝ドラ『花子とアン』に登場する葉山蓮子というキャラクターは柳原白蓮がモデルであり、仲間由紀恵が演じていた。
ちなみに、伊藤伝右衛門をモデルとした嘉納伝助というキャラクターは吉田剛太郎が演じており、この役で大人気となった。
芳雄橋の下を通過してすぐ、穂波川に小さい橋が架かっている。その橋を渡って2つの川の中洲部分・中之島へと移動する。
芳雄橋から中之島へと下りられる階段の近くに石碑があった。
いつも中之島を歩くときは、芳雄橋の階段しか見ておらず、急ピッチで歩いているため石碑の前を毎回通過しており、まったく気付いていなかった。
「山上憶良が詠んだ歌」というタイトルで歌が刻まれている。
山上憶良は奈良時代の歌人で、万葉集にも彼の歌が登場する。筑前国の国主をしていた関係で、現在の飯塚市にも来ていたのだとか。
遠賀川と穂波川の中洲・中之島は、秋になるとコスモスのキレイに咲く区画がある。
飯塚市を含む筑豊地方は、明治期に筑豊炭田として日本最大の石炭産出量を誇り、大いに栄えた。
その炭鉱時代の名残ともいえるボタ山は、市街地のいろんな場所から見える。
個人的には東町橋の上から眺めるボタ山の風景がいちばん好きである。
飯塚市に完成した二子山部屋の新しい稽古場・宿舎
飯塚郵便局と飲食店街の間にある道を西へ進む。
信号待ちをしていると、近くで相撲のぼり旗が立っていることに気付いた。
これはラッキー、どこの相撲部屋だろう、と覗きに行く。
二子山部屋の稽古場と宿舎が一緒になった建物だった。二子山部屋の九州拠点が飯塚にあるとは知らなかった。
見学できるのかな? と思って玄関に近付くと、11月1日から見学可能と書かれていた。惜しい。
こちらの建物、二子山部屋の後援会を務める企業が中心となって建設され、つい最近(2023年10月)に完成したばかりだという。
二子山部屋といえば、ロシア出身の狼雅(ろうが)という力士が先場所(2023年秋場所)に十両筆頭で勝ち越しを決め、もうすぐ始まる2023年九州場所で新入幕(=初めて幕内に昇進)を果たしたはず。
大相撲が大好きなので、次の九州場所も楽しみにしているところ。これも何かの縁だろうから、狼雅関の活躍に期待しよう。
飯塚の井筒屋跡地に森鷗外の文学碑を発見
二子山部屋の建物横を抜け、本町商店街へと向かう。
かつてここには井筒屋・飯塚サロンという店舗があった。
井筒屋・飯塚サロンは2018年10月に閉店し、その後は少し離れた場所にある「イオン穂波ショッピングセンター」に移転した。
こちら本町商店街の店舗は閉店後に解体され、現在は小さな広場と駐車場になっている。
その井筒屋店舗跡地の角に「森鷗外文学碑」がある。裏側には「平成9年(1997年)10月建立)」と記されていた。
森鷗外は軍医として小倉(現在の北九州市小倉北区)に赴任していたことがあり、小倉北区には森鷗外が住んでいた邸宅や、いろいろな記念碑などが各地にある。
鷗外は「小倉日記」という日記作品を出しており、その中で「演習のため飯塚に来た」ことや「飯塚警部長、飯塚町長と立食した」ことなどが記されているらしい。
その飯塚逗留を記念して建立された、と文学碑には書かれている。
本町商店街はウォーキング大会の度に歩いているはずなのだが、この文学碑には今まで一度も気付かなかった。
東町商店街で飯塚の歴史を堪能する
本町商店街から東町商店街へと移動する。
ちなみに、どちらの商店街も江戸時代は長崎街道だった。
東町商店街の三叉路広場というところには、江戸時代の長崎街道・飯塚宿の様子を描いた大きな壁絵が飾られている。
絵の周囲には、小倉から長崎までの宿場町が順に紹介されている。
三叉路広場から東へ進む。
アーケード下には地元の幼稚園や保育園の園児が描いたのだろうか、可愛らしい絵の数々が展示されている。
東町商店街の壁に、明治・大正期の飯塚を撮影した写真がたくさん展示されていた。これがめちゃくちゃ面白かった。
ウォーキングを趣味にしてから本格的に訪れるようになった飯塚市。その歴史は散策を重ねるごとに知識が積み重なってきているものの、昔の風景写真は1度も見たことがなかったので、どの写真も興味深く拝見した。
嘉穂劇場は休業から数年が経過しているらしい
久しぶりに来た嘉穂劇場。しかし休業中のため門は閉じられ、中に入ることはできなかった。
嘉穂劇場を運営していたNPO法人が2020年11月、経営難のため解散を発表。新型コロナの影響で公演や劇場見学がことごとく中止になったことが響いたらしい。
2021年には経営権が飯塚市に譲渡され、全国から約5億円の寄付金も集まったと聞いたが、2023年になっても営業は再開されていない。
複合文化施設「イイヅカコミュニティセンター」。飯塚市立図書館や中央公民館などが中に入っている。
飯塚市文化会館。愛称は「イイヅカコスモスコモン」。コミュニティセンターのすぐ隣りにある。
クラシックコンサートや映画上映会などが開催される各種ホールや会議室スペースなどを備えている。建物の前には芝生広場が広がっている。
ゆめタウン飯塚は2023年7月オープン
徳前大橋を渡って南側に移動。下を流れるのは穂波川。川の左岸にはイイヅカコスモスコモンの丸くて白い屋根が見えている。
穂波川の向こう岸に、巨大商業施設「ゆめタウン飯塚」が見えてきた。
ゆめタウン飯塚は、かつて「飯塚市地方卸売市場」という施設があった場所に建設され、2023年7月9日にグランドオープンした。
ゆめタウン飯塚にはグランドオープンの1週間後に行ったのだが、とにかく広い。そして入店している店舗群がとても充実している。
ものすごい数のお客さんであふれていて、とても活気があった。客数が多いのは開店直後の物珍しさもあるのだろうけれど、この盛り上がりが今後も続いていけば素晴らしいなあと素直に感じた。
ゆめタウン飯塚のスゴいところは、エリアの南端にある「シネマサンシャイン飯塚」という映画館が、なんとデジタルシアターの「IMAXレーザー」を導入したのだ。
この「IMAXレーザー」、福岡県で3つ目、九州全体でもまだ4つしか存在しない。全国でも50館前後しかない(注:2023年10月現在)。とても貴重な映画館なのだ。
福岡県内の3つとは、
- ユナイテッドシネマ キャナルシティ13(福岡市博多区)
- イオンシネマ福岡(糟屋郡粕屋町)
- シネマサンシャイン飯塚(飯塚市)
上記の3つ。お分かりだろうか。北九州市には1つもないのだ。
もう1回言うが、北九州市にIMAXレーザーの映画館は1つもないのだ。飯塚市の映画ファンのことがどれだけ羨ましいか。
映画館がスゴいということも含め、ゆめタウン飯塚は飯塚市民にとって宝物のような存在になるかもしれない。
この施設が完成したことは市民にとって実に大きい。JR飯塚駅から徒歩5分ほどで行けるという利便性も良い。
視点を変えると、すぐ近くにある既存店の「スーパートライアル飯塚店」や、数km離れた場所にある「イオン穂波ショッピングセンター」にしてみれば、かなりの客を取られる大打撃になるだろう。
飯塚市の熾烈な商業戦争はすでに始まっている。
ウォーキングのゴール地点、JR飯塚駅に着いた。
駅前は柵が設置され、駅正面のロータリーには迂回して行かなければならなかった。
ゆめタウン飯塚の誕生で飯塚駅を利用する人が増えるのを見越して、駅前を改造でもするのだろうか。
飯塚駅に初めて来たとき、駅舎の中に学習塾があった。
「駅に塾!!」と、初めて見たときは千鳥のノブばりに叫んでしまうほど大きな衝撃を受けたのだが、そういえば今回、その塾はなかった。いつから消えたのだろう。
今回の歩行時間は1時間30分。歩行距離は5.6km。
いろいろ寄り道をしまくったのだが、新飯塚駅から飯塚駅ってけっこう近い。