JR小倉駅から砂津エリアへと向かう
2013年も残り2日となった12月30日のJR小倉駅。
散策を始める前に、小倉駅前のコレット6階・小倉ロフトにて「ほぼ日手帳」の2014年版を購入。
散策スタート。小倉コレットを出発する。
北九州モノレールが小倉駅の中に入っていく。
小倉北区に住んでいた約20年前、まだモノレールとJRの駅は連結していなかった。
「京町四丁目」交差点。在来線と新幹線の線路が並走している。
西鉄バスの砂津営業所が商業施設として再開発された「チャチャタウン小倉」。
これも私が小倉北区に住んでいた頃には存在しなかった。
門司方面への分岐となる国道3号線の「砂津」交差点。
交差点の角には昔、朝日新聞の西武本社ビルが建っていた記憶がある。
ビルが解体されてからどうなったのか知らなかったが、特に何も新たなビルなどは建っていなかった。
富野エリア、20年ぶりの「更新うどん」
砂津郵便局。この辺りは一度も来たことがない。
富野エリアの細い道を進み、20年ぶりの訪問となる「更新うどん」で昼食。
店舗も、そして周辺の風景も少し変化していた。
【閉店】更新うどん:20年経っても変わらぬ大将の人柄と麺の量@北九州・富野
今回紹介するのは小倉北区上富野にある「更新(さらしん)うどん」。まだ独身で小倉に住んでた頃には常連だったお店に20年ぶりの訪問となり、驚きの連続でした。
うどんを食べ終え、散策を再開。
「富野口」交差点の風景は昔とあまり変わっていなかったが、角に建っいてるパチンコ店がやけに大きくなった気がする。
紫水会館というボーリング場の跡地。昔、小倉でボーリングをする時は必ずここに来ていた。
ここも閉店したのは知っていたが、跡地に何か建っているのかと思ったら何もない。ただの荒れ地だった。
通りすがりの人に質問してみたら、
「閉店したのは10年くらい前かな?」
「閉店後は紫水会館の建物がずっと残ってて、少し前に取り壊された」
「マルハンがここに出来るというウワサを聞いた」
と教えてもらった。マルハンってことはパチンコ屋? この周辺、パチンコ店だらけだな。
「古船場町」交差点。
少し離れたところには「クロスFM」のスタジオがあったっけ。たまに見物に行っていた。
北九州市最古の記憶、小文字歩道橋を初めて歩く
「紺屋町」交差点。独特の形状をした歩道橋がある。名前は「小文字歩道橋」。
19歳で鳥取県から福岡県北九州市に引っ越したのだけど、それより5年前、14歳の時に中学の修学旅行で初めて九州を訪れた。
小倉駅で電車を降り、観光バスに乗り換えて熊本・阿蘇に向かって出発した直後、小文字歩道橋をバスの窓から眺めたのを鮮明に記憶している。
鳥取のド田舎に住んでたので、珍しい形状の歩道橋を見て「北九州市って都会やなー!」と驚いた記憶がものすごく深く強く刻まれている。
まさか5年後、自分が北九州に住むなんて想像もしてなかったし、実際引っ越してきて小文字歩道橋に再会した時、「ああー!修学旅行でココ見た!」とビックリしたのも鮮明に覚えている。
最も古い小倉の風景として記憶に刻まれている小文字歩道橋。そういえば歩いて渡ったことが今まで一度もないと気付き、渡ってみることにした。
東側。門司方面。
西側。正面にモノレールの高架が見える。小倉城や市役所もこっちの方角。
北側。映画『おっぱいバレー』に何度も登場した小倉の煙突が中央に見えている。
路面電車も消え、平和通りの歩道橋も消えた
「平和通り」交差点。ここも巨大な歩道橋が昔はあった。
2年前、ウォーキングで久々にここを訪れた時、歩道橋のない風景が不思議でならなかった。
モノレール・平和通駅。
まだJRと連結してない頃は、ここがモノレールの終点・小倉駅だった。
「小倉駅前」交差点。
まだモノレールがJR小倉駅に連結していなかった頃、ここの交差点の信号が会社員たちの命運を握っていた。赤信号だと遅刻するかもしれなかったからだ。
西側に目を向けると井筒屋が見える。私が小倉北区に住んでいた頃からある老舗の百貨店。
井筒屋ビルの上には近代的な建造物の「リバーウォーク北九州」が見えている。
この通りは昔、路面電車が走っていたんだよなあ、とふと思い出す。
小倉駅、そして小倉コレットに戻ってきた。
ゆっくりノンビリの1時間。約5kmちょっとの小倉散策だった。