鷹見口の廃止を現地で偶然知る
2022年3月現在のJR折尾駅。新駅舎は2021年1月にお披露目されたが、駅周辺の再開発はまだ終わっていない。現在も進行中。
旧駅舎の解体前、この場所に建設されていた北口の仮駅舎は、新駅舎開業と同時に閉鎖となり、少し後に取り壊された。
その後しばらく工事は進んでいなかったのだが、今回訪れたらようやくロータリー工事が開始されていた。
新ロータリーの完成はいつになるだろう。
今回折尾駅に行ったのは、駅の撮影が目的ではなく、別の所要があったから。
しかし、改札口前のフェンスに掲示されていた案内板をたまたま発見し、ビックリ。鷹見口が2022年3月12日(土)で閉鎖されるという。
この日は2022年3月11日。つまり、鷹見口が稼働する最終日。これは大変だということで、所要を後回しにして写真を撮りつつ散策することにした。
鷹見口、最後の接写
折尾駅改札口から旧東口へ続く連絡路の横、高架下にたくさんのパイプ椅子やテントが設置されていた。紅白幕も見える。
撮影した翌日(3月12日)、ここで「折尾駅鉄道高架化完成記念式典」が開催され、福岡のローカルTV各局がニュースで報じていた。北九州市長やJR九州社長も来賓として祝辞を述べていた。
JR福北ゆたか線のホームが折尾駅の1番・2番ホームに新設され、福北ゆたか線はこれまで鷹見口の発着だったものを含む全ての車両が折尾駅の駅舎内発着となる。これに伴い鷹見口は不要となり、閉鎖されるという流れ。
かつて折尾駅東口に鎮座していたオリオンプラザの跡地。建物の大半は取り壊されたのだが、線路に近い部分だけが現在も残されている。
なぜこの部分だけが残されているのかサッパリ分からなかったが、この部分を解体することで、すぐ脇にある運行中の線路(=JR福北ゆたか線)に破片が落ちるなど支障があるから中断しているということなのかもしれない(あくまで想像)。
そうであるならば、今回の鷹見口閉鎖に伴い、オリオンプラザの残った一角もいよいよ解体されるのかもしれない。
一部分だけが残されているオリオンプラザ。解体された大部分のエリアは現在工事のためフェンスで覆われ、中に入ることも覗き見ることも出来ない。
高架と鷹見口の間には広いスペースがあったのだが、現在は工事中のため立入禁止。
高架のすぐ脇は地中が掘られた状態となっている。「もしかして、折尾駅に地下街でも出来るのか?」などと想像したが、地下街にしては浅すぎる。何の工事なのかは不明。
オリオンプラザの残された建物の前に臨時の通路があり、鷹見口に直行できるルートはその1つのみ。
ここを歩くのも今回が最後だろう。次に来る時、鷹見口の建物はもう解体されて消滅しているのかもしれない。
1988年に開業したという鷹見口。折尾駅を経由して直方・黒崎・博多などに行く際、この鷹見口を経由して折尾駅の旧駅舎まで徒歩移動することが、とにかく面倒だった。
慣れた人ならまだしも、折尾駅をそれほど利用したことのない人にとって、鷹見口は最大の難関。時刻表の掲示板に「Aのりば」と書かれれいても、それが鷹見口のことだなどと分かるはずもない。最初の頃は何度も電車に乗れず、折尾駅で次の電車を待ちながら無駄な時間を過ごす羽目になった。
旧駅舎とは徒歩数分の距離で離れており、新駅舎の高架が出来るまでは屋外を徒歩移動しなければならなかった。大雨の日などは折尾駅と鷹見口の往来だけでズブ濡れになった。
折尾駅で鹿児島本線に乗り換える時は鷹見口の改札でICカード乗車券「SUGOCA」を使ってはいけないという、言われなければ分からない罠まであった。鷹見口の改札でSUGOCAを使うと、折尾駅で下車した扱いとなり、駅改札で再びSUGOCAを使うため、運賃が余計にかかってしまうのだ。
他にも上り電車が鷹見口に入って来る際、下り電車から降りた客は改札口に移動できない(線路上を横断する必要があるから)など、とにかく不便極まりない鷹見口であった。一刻も早く鷹見口は廃止すべきだ、と長年言い続けてきた。
しかし、いざ閉鎖が決まり、最期の日にここを訪れると、とてつもなく寂しかった。
もう少し離れた場所から鷹見口の改札口を撮影したかったのだが、上の写真のとおり通路以外の場所は立入禁止となっており、ちょうど良い距離感で撮影することは出来なかった。
鷹見口が閉鎖され、JR福北ゆたか線のホームが全て折尾駅駅舎内に移行されることで、旧東口踏切の遮断機もいずれは撤去されるのだろう。
踏切が廃止されたとしても、自転車の駐輪場があったり、東筑高校などに向かう生活道路にもなっているので、この道路自体がなくなることはないと思われる。何かの改造工事はあるかもしれないが。
この線路も最終日。いよいよ福北ゆたか線としての役目を終える。
最後に電車が通る風景を撮影したかったのだが、かなり時間を要することが分かったので断念。所要を済ませるため、折尾駅を去ることにした。
閉鎖翌日の鷹見口にも行ってきた
今回の記事は上の部分で終わるはずだったのだが、閉鎖翌日(3月13日)にも折尾での所要が発生したため、早朝の折尾駅周辺を散策・撮影してきた。
折尾駅の旧東口。10年前の2012年まで、旧駅舎の正面改札口は旧東口にあった。旧駅舎の解体後には仮駅舎と簡易改札口が建設されている。
昨年1月の新駅舎開業後、旧東口の仮駅舎は閉鎖・解体された。
同じく昨年1月に閉鎖・解体となった旧西口と旧東口は、以前は旧駅舎の一部(福北ゆたか線)として構内通路で繋がっていたが、旧駅舎が解体された現在は道路が敷設され、車で往来できるようになっている。
旧西口の仮駅舎跡地。現在は旧西口と旧東口とを繋ぐ車両道路の脇に施設された、暫定的な歩道の入口となっている。
旧西口のホーム跡。JR福北ゆたか線の線路は以前に撤去済みであり、鷹見口を経由する旧東口の線路だけが現役として残る状態だった。しかしその東口線路も2日前に廃止された。
オリオンプラザ跡地の一角にあった鷹見口の入口通路。2日前は入れたのだが、閉鎖翌日は入口が封鎖されていた。
折尾駅北口方面から高架下を通って鷹見口へと繋がる通路も封鎖され、入れなくなっていた。
高架下から撮影した鷹見口。3月13日の時点で鷹見口を近くから撮影できる場所はここしかなかった。これ以上接近すると不法侵入になってしまう。
鷹見口正面(オリオンプラザ跡地)は工事中なのもあり全面的に封鎖されてしまったが、裏側にある一般道からは現在も鷹見口を眺めることが出来る。
ここから電車に乗ったり下りたりすることはもうない。その実感はまだ湧かない。
旧東口の踏切。両脇の線路が封鎖されている。
左の茶色い建物がオリオンプラザ跡。正面が鷹見口。
この線路も将来的には旧西口のように撤去されてしまうのだろう。
旧線路と新線路の分岐点にも行ってきた
折尾での所要を済ませた後、JR福北ゆたか線の旧線路と新線路が交わる分岐点にも行ってきた。
折尾駅から南へ約1km進んだところに分岐点がある。ちょうど写真中央付近が分岐点で、写真左下へと伸びるのが旧線路。写真右下へと伸びる、敷石で白くなっているのが新線路。
分岐点に最接近。まっすぐ手前に伸びているのが旧線路。右側にカーブしているのが新線路。
新線路は分岐点からカーブして少し進んだ後、トンネルに入る。そのトンネルを出てすぐにJR鹿児島本線と合流し、折尾駅の高架ホームへと入っていく。これが統一されたJR福北ゆたか線の流れ。鷹見口を経由することは二度とない。
このトンネルが建設中の時に、ウォーキング大会でトンネル見学したことがあったなあと思い出し、ブログで記録を調べてみた。
トンネル完成時に開催されたウォーキング大会時の写真。撮影したのは2012年10月で、この日は折尾駅旧駅舎のさよならイベントが開催されていた。当時の様子はブログ記事として残っている。
「ありがとう折尾駅舎」イベントに参加、福北ゆたか線の新トンネルを見学
2012年10月13日(土)。北九州市八幡西区を歩いてきました。年内の解体作業開始が公表されたJR折尾駅の駅舎。「ありがとう折尾駅舎」イベントとタイアップした大会に参加してきました。
見学した当時は、このトンネルに何の意味があるのか、どういう用途なのかをサッパリ理解していなかった。
「このトンネルは新しい福北ゆたか線の線路が通ることになるんですよ」と現地のJR職員に説明されても、なぜ新しくなるのか事情を知らなかったのでピンと来なかった。
今なら分かる。全部分かる。10年の間にいろいろ学んだ。
トンネルが開通し、旧線路が正式に廃止されるまで10年かかっている。(注:トンネルを含む新線路は1年以上前から既に電車が運行している。あくまで「旧線路の完全廃止が2日前」というだけである)
前日に開催された折尾駅の鉄道高架化完成式典で、JR九州の社長は「18年かかって作った折尾駅であります」と述べられていた。折尾駅の新駅舎を含む周辺の再開発は、2004年から開始され今年で18年。しかもまだ完了していない。
北口の新ロータリー工事、国道199号線の拡張、堀川沿いに並ぶ東口飲食店街の問題、そして鷹見口の解体と、まだまだ再開発は山のように残っているだろう。
旧駅舎に続いて鷹見口も閉鎖となり、完全高架化が完了し、JR福北ゆたか線も完全に新線路へと切り替わった。折尾駅にとって大きな転換期が今まさに到来している。今後も工事の進捗を見守っていきたい。