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門司往還(参勤交代往還路)散策ガイド:常盤橋〜門司口門跡

2024年2月19日

門司往還もじおうかん」は、江戸時代に整備された街道のひとつ。

この記事では門司往還のうち、起点となる常盤橋から門司口門跡まで、約1.2kmの散策コースを紹介します。

今回の散策コースは上の地図のとおり。地図に載せている赤色の丸番号は、この記事の各見出しに対応しています。

門司往還や大里宿の歴史的背景・参勤交代での住み分けなどについては別記事でまとめています。

門司往還・大里宿まとめ
関門海峡
門司往還と大里宿:江戸時代に小倉と門司を繋いだ北九州市の旧街道

江戸時代に整備され、小倉と門司を繋いでいた旧街道の「門司往還」。各地に点在する史跡の位置や風景写真などを紹介する散策ガイドをはじめ、長崎街道との関係性、宿場町である大里宿の由来や歴史、参勤交代で門司往還を利用した九州諸大名の解説などをまとめました。

常盤橋

門司往還の起点は、豊前国・小倉(現在の北九州市小倉北区)に架けられた「常盤橋ときわばし」です。

常盤橋は、長崎街道をはじめ九州にある5つの陸上幹線道の起点となっています。

江戸にあった日本橋が東海道など「五街道」の始点でもあったことから、常盤橋は「九州の日本橋」と称されています。

常盤橋・東詰
常盤橋・東詰

江戸時代に伊能忠敬が計測した記録によれば、常盤橋を起点とする5つの街道のうち、「門司往還」「秋月街道」「中津街道」の3街道は常盤橋の東側(東詰)が起点でした。

「長崎街道」「唐津街道」の2街道は常盤橋の西側(西詰)が起点です。

常盤橋については別記事でも紹介しており、常盤橋に関するさまざまな情報をまとめています。

愛称は「木の橋」
木の橋・常磐橋
【紫川十橋】常磐橋(木の橋):5つの街道の起点、九州の日本橋

紫川十橋と呼ばれる北九州市に架かる橋のうち、この記事では常磐橋(木の橋)について解説します。江戸時代に整備された九州の街道の起点となったことから「九州の日本橋」と呼ばれています。橋の周辺にも伊能忠敬の記念碑など複数の観光スポットが点在しています。

豊前国小倉城絵図
豊前国小倉城絵図(案内板より)

常盤橋のすぐ近くにある案内板に「豊前国小倉城絵図」という絵が掲載されており、昔の小倉城周辺が描かれています。

絵図の中心にあるのが紫川。現代よりもずいぶん川の面積が広いです。河口付近にあるのが常盤橋で、すぐ北側は海です。

常盤橋の左側が小倉城で、主に武士たちの住居があります。常盤橋の右側は町人の住む区画で、常盤橋を境に分かれていました。

江戸時代の常盤橋
江戸時代の常盤橋(案内板より)

案内板には江戸時代の常盤橋や周辺の風景を描いたものも掲載されていました。

橋のすぐ北側が海であることや、船が往来していることも分かりますね。

京町銀天街

常盤橋から京町銀天街の入口が見える
常盤橋から京町銀天街の入口が見える

常盤橋から東側を見ると、橋の少し右側に「京町銀天街」の入口が見えます。上の写真、赤い丸で囲んでいる場所です。

京町銀天街の入口
京町銀天街の入口

京町銀天街も昔の門司往還です。

「参勤交代往還路」のプレート
「参勤交代往還路」のプレート

京町銀天街に入ってすぐの場所に、「参勤交代往還路」と彫られたプレートが地上に埋め込まれています。

門司往還は参勤交代往還路とも呼ばれています。

「ちゅうぎん通り」近く

京町銀天街をひたすら東へ直進します。

途中で横断する県道37号線(通称「ちゅうぎん通り」)は車両の交通量が多いため、横断する際はご注意ください。

京町銀天街の東端
京町銀天街の東端

途中で魚町銀天街と交差したりもしますが、とにかく京町銀天街をひたすら直進です。

魚町銀天街は、昭和26年(1951年)に誕生した、日本で初めてのアーケード商店街です。

京町銀天街の東端までやって来ると、正面にピンク色の大きな商業施設が見えてきます。これがセントシティです。

セントシティ入口

セントシティ前の横断歩道
セントシティ前の横断歩道

京町銀天街の外に出ると、正面にセントシティ、頭上には北九州モノレールの線路があります。

セントシティの建物は、もともとは「小倉そごう」で、1993年(平成5年)10月に開業しました。小倉そごうの閉店後にテナントと店名がコロコロ変わり、現在のセントシティは2021年(令和3年)4月に開業しています。

モノレール下の道路の横断歩道を渡り、セントシティ側に移動します。

横断歩道の歩行者用信号は赤信号の時間がとても長いです。もしも赤信号になったばかりであれば、左側にあるエスカレーターをのぼってペデストリアンデッキを歩き、セントシティ側に移動したほうが早いです。

JR小倉駅とペデストリアンデッキ
JR小倉駅とペデストリアンデッキ

横断歩道を渡り終えた地点から左側を眺めると、JR小倉駅が見えます。

駅前はペデストリアンデッキが整備されているので、信号を待つことなく駅ビルや周辺商業施設に徒歩移動することができます。

セントシティ・西側玄関前
セントシティ・西側玄関前

セントシティの西側玄関前にも、地面にプレートが埋め込まれています。

こちらにも「参勤交代往還路」のプレート
こちらにも「参勤交代往還路」のプレート

京町銀天街の入口と同じく、こちらセントシティ西側玄関前にも「参勤交代往還路」のプレートがあります。

つまり京町銀天街からひたすら直進してセントシティまでの1本道は、かつての門司往還(参勤交代往還路)だったことになります。

セントシティ・1階フロア
セントシティ・1階フロア

西側玄関からセントシティの店舗内に入り、反対側の東側まで直進します。

もうお分かりかと思いますが、ここもかつての門司往還です。

セントシティ・1階東側玄関
セントシティ・1階東側玄関

店内を横断し、1階東側玄関から屋外に出ます。

参勤交代往還路の案内板

東側玄関前にある案内板とプレート
東側玄関前にある案内板とプレート

セントシティ・1階東側玄関から屋外に出ると、すぐ前に案内板が設置されています。

案内板の前には、西側玄関にあったのと同じく「参勤交代往還路」のプレートも地面に設置されています。

プレートは西側玄関前のものと逆向き、つまり門司側から常盤橋の側へとプレートが向いている格好です。

参勤交代往還路の案内板
参勤交代往還路の案内板

江戸時代に門司往還(参勤交代往還路)があった頃、セントシティがある一帯は小倉城の城郭であり、この記事での最終目的地である門司口橋の付近は「門司口門」という番所が設置されていた、と書かれています。

門司口橋のあたりまでは小倉城の城郭(=お城の周りに作られる壁や建物などの囲い)だったということですね。

小倉城下町の東曲輪

小倉城下町の東曲輪
小倉城下町の東曲輪

参勤交代往還路の案内板があった地点から北へ少し進み、セントシティの北東部にあたる場所(小さな赤い鳥居の前)に「小倉城下町の東曲輪」という案内板があります。

細川家小倉藩・初代藩主の細川忠興が小倉の城下町を形成していった様子などが解説されています。

この案内板が立っているエリアは、昔は「博労町ばくろうまち」という地名だったそうです。

その後、1971年(昭和46年)に現在の「京町」へと変更されたことも解説板に書かれています。

江戸時代の小倉城下町の図
江戸時代の小倉城下町(案内板より)

案内板に掲載されている城下町の絵図にもあるとおり、現在JR小倉駅のある場所が江戸時代には海岸だったことや、小倉駅の北口エリアはかつて海だったことが分かります。

また、絵図左上・常盤橋が架かる紫川から、絵図右上・門司口橋が架かる砂津川まで、城下町が広範囲にわたっていたことも分かります。

絵図で「京町筋」と書かれている赤い線が今回歩いている門司往還のコースです。

京町3丁目

京町3丁目周辺
京町3丁目周辺

セントシティの東側玄関から正面に見えていた路地を直進します。このあたりは飲食店や有料駐車場が並んでいます。

車両は一方通行となっており、セントシティ側(上の写真、手前側)から門司側(奥側)へ進入することはできません。

西顕寺(岩松助左衛門の墓)

西顕寺

路地を直進していくと大きな道路に出ます。左折すると「京町四丁目」交差点があり、小倉駅北口に繋がるアンダーパスへと続いています。

門司往還はまだまだ東へと続くので、道路の横断歩道を直進方向へ渡ります。正面には「西顕寺」というお寺が建っています。

今回訪れた時は改装工事中らしく、お寺の周囲に足場が組まれ白いベールで覆われていました。

西顕寺には岩松助左衛門の墓がある
岩松助左衛門の墓がある

西顕寺の敷地内には、岩松助左衛門いわまつすけざえもんという人のお墓があるそうです。お寺の南側にある門の脇に石碑と案内板が立っていました。

岩松助左衛門は江戸時代末期の1861年、51歳のときに豊前国・小倉藩の「海上御用掛難破船支配役」という役職に任命されました。

当時の小倉沖は「西国一の海の難所」として有名で、難破する船がとても多かったのだそうです。

助左衛門は船の安全を守るため灯台建設を決意。私財を投じて奔走したものの、当時は幕末の激動期だったため事業はなかなか進展しませんでした。助左衛門は相当に苦労されたそうです。

明治期になり、灯台建設事業は旧小倉藩から明治政府へと引き継がれ、1873年(明治6年)に白洲灯台が完成しました。しかし残念ながら助左衛門は灯台完成の前年に病気のため亡くなっています。

1873年に完成した初代の白洲灯台は木造で、その後1900年(明治33年)に2代目灯台が改築され、現在も藍島の西にある小島の上に立っています。

白洲灯台の場所は北九州市若松区の北にあります。若松区が近いのですが、住所表記は小倉北区です。

また、小倉城がある天守閣前広場の南端に、岩松助左衛門の功績を記念した「白洲灯台岩松翁記念塔」という塔が建っています。

歩兵第十二旅団本部の正門跡
小倉城・歩兵第十二旅団本部の正門跡

小倉城の大手門跡から坂道を上って左側、「歩兵第十二旅団本部」の門柱が今も残されている広場の奥に塔があります。

この広場を含む小倉城周辺は、春になると大量の桜が咲き、北九州市で最大の集客力を誇るお花見スポットとなります。

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白洲灯台岩松翁記念塔
白洲灯台岩松翁記念塔

塔の外観は、助左衛門が当初計画していた白洲灯台の外観を復元したものだそうです。

「新砂津橋」交差点

西顕寺の横にある旧街道を東へ直進し、突き当たりを左折します。

本来の門司往還は左折してからしばらく直進するコースなのですが、現在はJRの線路が敷かれて立入禁止となっており、直進方向にあった旧街道も途中で行き止まりになっています。

なので少しだけ迂回をします。

「新砂津橋」交差点
「新砂津橋」交差点

突き当たりを左折するとすぐ大きな通りに出るので、ここを右折します。20メートルほど進むと「新砂津橋」交差点があります。

すぐ前には砂津川に架かる新砂津橋。その向こうには西日本鉄道が運営する商業施設「チャチャタウン小倉」が建っています。

砂津港通り踏切
「砂津港通り」踏切

「新砂津橋」交差点を左折し、砂津川に沿って少し進むと「砂津港通り」踏切があります。

山陽本線の上り列車が通過していく
山陽本線の上り列車が通過していく

踏切が連続して2つ。JR山陽本線とJR鹿児島本線の線路を越えなければなりません。

運が悪いと両方の踏切に引っ掛かってしまい、かなりの時間を待たされることになります。

門司口橋

砂津川に架かる「門司口橋」
砂津川に架かる「門司口橋」

2つの踏切を通過し、さらにJRの高架をくぐると、砂津川に「門司口橋」という小さな橋が架かっています。

砂津川の下流、上の写真だと中央奥のほうには2017年に完成した「北九州スタジアム」が見えます。

北九州スタジアムは2024年現在、ネーミングライツにより「ミクニワールドスタジアム北九州」という名前になっています。

ミクスタ完成レポート
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北九州スタジアムのすぐ北側が海なのですが、あの一帯は埋め立て地です。江戸時代に門司往還があった頃は、門司口橋のすぐ北側に海があったようです。

門司口橋は新幹線の高架下にある
門司口橋は新幹線の高架下にある

門司口橋の上には山陽新幹線の高架があります。

門司口橋・西側
門司口橋・西側
門司口橋のプレート
門司口橋のプレート

2つの踏切を含む川沿いの道路は、この一帯をよく通るドライバーには有名な抜け道で、私自身も幾度となく通ったことがあります。

しかし門司口橋のことは、今回徒歩で訪れるまで全く気付いていませんでした。

門司口門跡

門司口門跡

門司口橋を東へ進むと、新幹線高架の真下に「門司口門跡」の案内板があります。

小倉藩士屋敷絵図
小倉藩士屋敷絵図(案内板より)

案内板に掲載されていた「小倉藩士屋敷絵図」に、門司往還から門司口門(写真右上)を出て、門司口橋を渡って大里方面に向かうまでのルートが赤い線で分かりやすく解説されています。

「海岸の石垣まで来て反転して門をくぐる」と案内板にも解説が書かれています。

自然史・歴史博物館編集「豊国名所」より
自然史・歴史博物館編集「豊国名所」より

こちらも案内板に掲載されていました。昔の門司口門を描いたものだそうです。海岸から門までは坂道になっていたようですね。

門司口門跡は公園のようになっている
門司口門跡は公園のようになっている

門司口門跡は現在、公園のように整備されています。

スタート地点の常盤橋からここまで、約1.2kmの道のりは全て小倉城の城郭(城下町)だったことになり、城郭はかなり広かったのだということが歩いてみると実感できます。

かつては海だった門司口門跡の北側には国道199号線が東西に伸び、小倉駅北口の再開発を経てとても賑やかとなりました。

  • リーガロイヤルホテル小倉
  • 西日本総合展示場
  • 北九州スタジアム(ミクニワールドスタジアム北九州)

といった北九州市を代表する施設群が建ち並んでいます。

門司口門を抜けて東へ進み、宿場町である「大里だいり宿」へと向かう散策コースがここから始まります。

参考資料

門司往還のコースや各所の歴史解説などは、『長崎街道/大里・小倉と筑前六宿』という書籍を参考にさせていただきました。

著:稲富裕和、丸山雍成、田郷利雄、稲津義行、前山利治、水上裕、牛島英俊、嶋田光一、百冨進美、大町秀一、深町希彦、山村淳彦、遠藤明、写真:遠藤カヲル
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また2024年2月に出版された「地球の歩き方・北九州市」の地域情報(小倉北区、門司区)も参考にさせていただきました。

編集:地球の歩き方編集室
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